『桃華月憚』で最も好きなシーン

先日、新規に『桃華月憚』を観たという友人と話をしていて、「どのシーンが最も好きか?」が話のネタとなったのですが、
自分の場合は何なのだろうと考えて辿り着いたものがあったので、備忘録に。とはいえ、本来は「全て好き」と答えるのが筋ではあるので、
好きというより見応えがある、といったニュアンスの方が正しいでしょうか。


26話Bパートにて、桃花が「あ、あの…私も、ここに住んでいいんでしょうか」と戸惑っているのに対し、由美子が「来てくれたのね…桃花ちゃん」
と応え、抱き寄せるシーン。これが私のベストです。選定理由として、物語からの観点と映像からの観点で分けて紹介します。

まず、物語としては全くの序盤。桃花が列車内に突如現れ、真琴たちに着いて行くうちに守東家に到着、しかし自らの居場所も無く、
ここで住んでいいのか悩みだす。その疑念を打ち消すかのように由美子が応え、桃花が住み着くきっかけとなったシーンですね。
しかし、これの魅力には後の物語も絡んできます。桃花にはセイが、由美子にはジュナが取り憑いており、双方ともそれは知らない。
またジュナはもう知っているのだろうけれど、セイは未だ知らない。器としての桃花の中で眠っている状態です。


ここまで律儀に放送順に観ている視聴者にとって、ジュナとセイの大喧嘩は散々目に焼き付いていることと思います。
7話でのこの猛烈なジュナの暴走を始めとして、セイの部分が現れるたびにジュナは反応、何かしらの怒りを表明していました。
この二人が対立的な関係であるということだけでも、ボーッと観ていても伝わるものでしょう。

だからこそ、この出会いが素晴らしい。もはや相容れないであろうことは明らかとなっていて、それでも生活の場を与える、
すなわち互いに楽しく日々を送ることを約束するこの場面は非常に印象的に映ります。最初に観た時に、二人の後の対立が
脳内を駆け抜けていき、深く感動したことはよく覚えています。これぞ逆再生でなければ成せぬ業。

以前の記事でも言ったことなのですが、『桃華月憚』は非常にそういった生活の描写についてナイーブな作品で、
逆再生によって「限られた時間」を提示し、その中で細やかで楽しい日々を描くこともテーマのひとつとして顕著です。
それを踏まえると、この生活の始まりの瞬間が如何に重要であり、肝心の桃香との出会いよりも先行させた理由も明瞭となってきます。

映像面でも紹介。最終話はそれまでの話に比べ明らかにPANが多く、これは絵コンテ担当の望月智充によるものが大きいのでしょうが、
この描写では飛び抜けて使用意図がはっきりしていて心地良いです。

まず、この俯瞰ではカメラを斜めにし、更に回すことで桃花の不安を端的に示す。

抱きしめた直後には由美子を映すが、ここではPAN UP(下→上)で後から表情を映し出す。(赤矢印はカメラの動き)

対して桃花は横PAN(右→左)で由美子と対照的に見せる。

この流れが自然で美しい。相容れない二人をこうして表現し、さきの抱き寄せた場面ではズームアウトを用い、全体(+真琴)を見せるようにする。

ここで「映像の原則」の考え方を借ります。

画面内の配置や向き、動きの方向性が意味を含むという視覚印象の力学に基づいた考え方です。
観客(視聴者)に対して、右側が上手(かみて)。左側が下手(しもて)になります。
上手は、上位(ポジティブ)の傾向。下手は、下位(ネガティブ)の傾向をもちます。
画面の右にいるか、左にいるかというのは偶然ではなく、「原則」に基づいた意味がちゃんとあるよ、ということです。
上手と下手の関係(イメージ)を、分かりやすくなるようにまとめてみました。

落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』> ― HIGHLAND VIEW 【ハイランドビュー】 (2012年11月22日閲覧)

(この図、本当に便利で助かります)
ちょうどポジティブの上手に二人がいて、同時に「強大な敵」としてのジュナをも表現しているともとれます。この辺りの表現技法としても忠実で的確。
桃花の横PANについても、左→右に移動する桃花はポジティブの方向に向かっていることが分かります。

また、シーンの最後に見せる由美子の微笑み。

皇族のをはじめとする日本人特有の曖昧な微笑は、特に「アルカイク・スマイル」(アルカイック―、archaic smile)と外国人から揶揄を込めて呼ばれる。

日本人の不自然な微笑に関しては、小泉八雲の『日本瞥見記』内の「日本人の微笑」において語られており、「愛する人が亡くなった重大な時にこそ、みだりに表情を表すことを控え、むしろ笑みを浮かべることを美徳としていた」とし、そうした日本人の美徳を外国人である小泉自身は不可解であったと記している。この日本人独特の微笑の不可解さは、新渡戸稲造著の『武士道』内においても説明されている(外国人女性のケース、すなわち男女にかかわりなく、日本人の微笑は不可解に見られていた)。
微笑み ― Wikipedia (2012年11月22日閲覧)

こういった引用を持ち出さずともこの微笑みは不可解で、由美子が桃花を迎え入れたことによる笑みか、ジュナがセイを手中に収めたことによる笑みか…
いずれにせよ、このような陰りをつくってまで描いたこの微笑みは、上述した日本的な文化を映す側面があり、また感情の正体が読めない表情としての
微笑みが印象深く残るよう描かれてます。これについては更なる深読みが必要でしょう。

長くなりましたが、このシーンは本当に素晴らしい。言葉では言い尽くせないほどに素晴らしい。ああー素晴らしいアニメだ(恍惚)